
2026年5月30日撮影
嵐が活動を終了した.
解散ではない.活動終了.
解けて散るのではない.
想いは一つのまま,単に動きを止めたのである.
不思議と,6月になっても寂しくない自分がいる.
『This is ARASHI』LIVEのときは,ありえないほどの寂しさと悲しさに苛まれていたのに.
今回の,『We are ARASHI』を経て思ったのは,「明日から頑張ろう,明日からこそ生きていこう」という気持ち.
現地参戦をした名古屋公演の後も,5月31日の生配信の後も,そう思った.
なぜなのだろう.
会えたからなのかな.
直接,感謝を言えたからなのかな.
ライブのセトリ的にも,寂しさよりも楽しさを強く得られた気がして.
もちろんラストスパートのあたりとかは歌詞から涙腺にくる部分もあったし,挨拶はしっかり泣いた.
けれど,Fiveを聴き終わるころには笑顔になっていたし,ライブの終わりには晴れやかな気分だった.
ライブに参加している最中は,嵐と過ごした,特にライブで過ごした思い出が蘇ってきて.
CARNIVAL NIGHTとか,Lucky Manとか,メンバーズセレクションでも言っていたけれど,ファンが安心する選曲だったと思う.
“安心する”
そんなライブを見せてくれたことが,晴れやかな気分になった要因なのかな.
どこかにつながる話かもしれないけれど,結局ファンやヲタクというのは懐古厨だと思う.
だからこそ今回の『We are ARASHI』LIVEが大好評を博していて.
いろんな人の青春の中に嵐がいるからこそ,こんなに好ましい感想が飛んできているのだと思う.
だからこそいわゆるジャニオタからも,Yes No?やCARNIVALが取り沙汰されているのだろう.
終わりとして,最高のライブだったと思う.
もしこのライブを,普通に活動している中で披露されたら私は怒っていると思う.
なぜなら,そのタイミングでのライブは,過去をまとめる博覧会ではないから.
活動中の『5×20』も,周年ライブとしてまとめのような立ち位置だったけれど,アレンジや挑戦が詰め込まれていて,ただのまとめではないように感じられていた.
『This is ARASHI』LIVEについては,アルバムを引っ提げてのライブという立ち位置で.
だからこそ今回,まとめ・区切りという嵐のライブがみられて幸せなのかもしれない.
私は何にもエンタメを作っているわけではないし,ただの消費者でしかない.
けれど,エンタメで感動をさせるには,【新しいものを見せる】ことが必要なのではないかと思うようになってきた.
新しいものとは,曲もあるだろうし,演出というのもあると思う.
衣装やシステム,いろんな分野で新しいものを叶えられると思う.
それを生み出す人間や世界が私は好きである.
だから,嵐はもちろんディズニーも,あんスタも愛している.
でも,何事にも終わりは存在するわけで.
嵐はそこに対して,ひとつの“新しい”終わり方を見せてくれた.
たぶん私は,好きなコンテンツにおいて,新しくない終わり方に出会ったら命を絶つ気がする.
生きる希望が見いだせなくなるから.
そういった点で,運営とユーザの信頼関係というのが重要だと,改めて感じた.
すごく適当な話でした.
でも,純粋な今のこの気持ちは書いておきたくて.
嵐を本格的に好きになって早16年くらい.
ありがとうという言葉だけでは表せないくらいの感謝を持っています.
嵐ヲタクとして最高な人生を過ごせていると思います.
2026年5月31日が終わったら,本当に何もかも,生きることすらもやめてしまおうと思っていましたが,今は違います.
まだまだ生きてみせる.
自分にとっての,最高な終わりを迎えるために.
自分にしか作れない,新しい何かを考えたいです.
どなたか,協力してくれませんか.

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