Tokyo Disney Sea “my” Record of Memories #d_advent

「東京ディズニーシーと過ごした20年」

自己紹介

 

初めましての方は初めまして、みなさんおはこんばんちわしきどなです!。
まずは軽く自己紹介をさせてください。

  • 2001年11月生まれの20歳
  • 2021年現在は大学生男子
  • Dヲタ兼ジャニヲタ
  • 趣味はゲーム(任天堂)

 

 

 

興味を持った方がいらしたら、別の記事も読んでみていただけると嬉しいです。ぜひファンになってください!w。

 

Record of Memories とは?

 

今回の記事の表題の一部にもなっている”Record of Memories”とはなんなのか、ご説明します。察しの良い方なら先の自己紹介でピンとくるのかもしれないですが、こちらの映画のサブタイトルなのです。

ARASHI Anniversary Tour 5×20 FILM “Record of Memories”
さあ、映画館で夢のつづきを始めよう。あの日あの時の記憶を記録した、嵐“初”のLIVE FILMがいよいよ映画館へ。

こちらは嵐のライブを記録した映画、「ARASHI 5×20 FILM “Record of Memories”」です。嵐20周年記念で行われたコンサート”5×20″を余すことなく見ることのできる映画ですので、ぜひとも見に行ってみてくださいね(ステマじゃないです)。

 

ということで今回僕の#d_adventでは、東京ディズニーシー20周年記念嵐20周年ライブ映画化記念・そして僕の二十歳記念として、僕が見てきたディズニーシー20年間の記憶を写真とともに記していこうと思います!。

0~6歳(2001~2007)

 

20年間の記憶といっても、この辺りは全く記憶に残っていません。時系列的には5周年を過ぎたころですね。レイジングスピリッツがオープンした時のことは何となく記憶にある気がします。テレビでオープン日の開園前に誰かが乗っていたのを中継していた気がするのですが、どなたか覚えている人はいらっしゃいませんか??。

そしてテレビで行われるディズニー特集などの際は必ずと言ってもいいほど誰か乗っているタワーオブテラーも、この時期にはもうオープンしているわけですよね。絶叫系が苦手だった幼少期はそもそもディズニーシーに行くことが少なかったことも尚更記憶がない原因かもしれません。

 

7歳(2008年)

 

2008年といえば東京ディズニーリゾートが25周年を迎えた年です。25周年といえば魔法の鍵、そんな記憶がわたしにもかすかに残っています。

グッズとしてもシーに訪れた証が残っています。

 

ドナルドのピンバッジ(ピンボケすみません)

 

アブーズバザールの景品のピンバッジです。アブーズバザールのコブラのゲームが大好きだったことを覚えています。一度も成功したことはありませんが、失敗してもピンバッジがもらえる安心感は大きかったと思うんですよね。すごく楽しくゲームを遊んでたと思います。

 

カード

 

もう一つ。これらのカードも出てきたのですが、これはショップで何か購入するともらえるやつでしたっけ…?。グーフィーが2枚見つかったのでもらえるのはランダムだったのかなと思います…。(何かをペリペリして剥がした記憶もなんとなくあるんですよね…。)

このころの僕はまだディズニーにハマっていませんでした。ディズニーシーに行っても乗れるアトラクションは限られていて、インディーですら怖い怖いと言っていた記憶があります。なのでアクアトピアが大好きだったんですよね…、あんなに平和で面白いアトラクションはないと思っていましたw。そして僕は花より男子の影響で嵐にハマります。これが次の年に影響するとは思ってもみないわけです。

 

8歳(2009年)

 

2009年といえば嵐の10周年。ここで東京ディズニーシーと嵐が急激にクロスすることとなるのです。

応募500万通以上!嵐がTDS貸し切り - スポニチ Sponichi Annex 芸能
「嵐」が20日、千葉・浦安の東京ディズニーシーで貸し切りイベントを行った。船上でミッキーマウスなど44体の人気キャラと共演。ディズニーのクリスマスメドレーや「A・RA・SHI」などの嵐スペシャルメドレーを歌い踊った。

こちらを覚えている方はいらっしゃいますのでしょうか?。コンフェティシャワーのほうにメールを送らせていただいたときにも書きましたが、懐かしいと言ってくださったことはとても嬉しかったです。毎日毎日カレーかシチューを食べ漁り、何枚も何枚もバーコードをハガキに貼って送りました。どんなハガキでも抽選対象ではあったのですが、公式のハガキを見つけるだけでも大変だった記憶があります。抽選には外れてしまいましたが、とても記憶に残っている出来事です。YouTubeに報道映像が一部掲載されているので、興味のある方は探してみてください(リンクは貼りません)。

 

9歳(2010年)

 

2010年といえばダッフィーの人気がうなぎ上りになり始めた年だと思います。シェリーメイという相方も誕生し、ドナルドのボートビルダーがマイフレンドダッフィーへと変更された年でもあります。

 

ダッフィーのクリスマス衣装

 

シーを見渡すと、ダッフィーを持っていない人のほうが珍しいのではないかというほど、みんながみんなダッフィーを持って歩いていたように感じます。その波はもちろん僕にもやってくるわけです。ズムサタか何かでダッフィー持ち歩きが特集され、嵐のライブ会場でも衣装を着せたダッフィーを持ってくる人が増えていました。それはそれは欲しくなるわけですよね。ダッフィーと上の写真の服を購入して持ち歩きました。流行に乗るのは楽しいと思った瞬間ですかね()。

 

10歳(2011年)

 

2011年は僕も東京ディズニーシーも10歳になる年でした。ですが3月、東日本大震災が起こります。僕自身は地震発生時学校にいて、とても怖い思いをした記憶があります。テレビはCMも含めてトラウマです。

当時TDRは神対応としていろいろなところで取り上げられていたと思います。園内での対応だったりキャラクターたちの被災地訪問であったり、ニュースを見ていてとても感動した記憶もあります。その分浦安市の液状化現象の報道にはとても悲しい思いをしたことを覚えています。いつパークが再開するのか、当時はまだヲタクではなかった僕も関心を寄せていました。

「神対応」反響呼んだディズニー担当者 “ランドからシーへ“1500人避難 10年前の決断語る【#あれから私は】
日本有数の巨大テーマパーク、千葉県浦安市の東京ディズニーリゾート。その従業員らが東日本大震災の日にとった行動が、後に「神対応」として称賛された。来園者の頭を守るため売り物のぬいぐるみを配ったり、シャ

(今年の記事ですが、当時のことが書いてあります)

 

さて2011年3月31日、すでに嵐ヲタであった僕は衝撃を受けます。それは、”ひみつの嵐ちゃん”という番組でVIPROOMディズニースペシャルが放送されたのです。嵐がミッキー&フレンズと戯れている姿にはとても勇気をもらいました。そのあとのスペシャルライブも素晴らしかったんですよね。10周年テーマソングである”Be Magical!”が流れ最後の魔法で嵐がジャンプアップで登場、”星に願いを”と”ミッキーマウスマーチ”を歌唱するというライブでした。こちらもYouTubeやtwitterに動画が残っていますので、ぜひ探してみてください。

 

10周年コレクタブルスプーン

 

9月からは無事10周年イベントが開催されました。クリスマスの時期に行き、このスーベニアスプーンをユカタンベースキャンプで買ったことを覚えています。このときはスーベニアスプーンがたしか全キャラクター分ありましたよね…?、いろんなレストランで展開されていた記憶もありますが、さすが10年前、うろ覚えです。

今回はディズニーシーが主役なので、その他TDRについては書かないでおこうと思いましたがこれだけは書いておきたいのです。

 

アンバサダーホテル10周年:ポストカード

 

この年はアンバサダーホテルが10周年イベントを行っていた年でもありました。僕がディズニーホテルに初めて宿泊したのはこの年なんです。当時はドナルドダックルームが新設され、シェフミッキーは伝説のシェフドナルドに変わっていたという貴重な時です。こんな貴重なものを体験できている(記憶があるとは言ってない)のは予約してくれた親のおかげかなとも思います。この時期にはもうドナルドを最推しとして認識していたと思いますw。

 

11歳~13歳(2012~14年)

 

小5~中1にかけての時期です。30周年が行われていた周辺のこの時期ですが、受験期であったり環境の変化に慣れていなかったため、パークにはイースターのランドだけ行っていました。Dヲタ5年周期説というTDRアニバーサリー年にヲタが増えることは有名な説ですが、僕ももれなくその一人だと思っています。勉強勉強で辛いときに行けた30周年が今でも一番だと信じています。このときから確実にヲタクになりました。

 

14歳(2015年)

 

懐かしの頃

 

まだ人間として覇気があったころに、初めて部活の人たちとディズニーシーに行ったことを覚えています。家族や友人とは違う、先輩後輩という関係は新鮮でしたね…。まだまだスマホカメラの画質が悪いことにも懐かしさを感じます。たしかこの時初めてタワテラに乗りました。中高生のノリって怖いですね()。

 

タワテラFP

 

ファストパスの写真を撮ってたりもします、マメですねw。

 

カスバのカレー

 

初めてカスバフードコートに入ったのもこの時ではないでしょうか??、様々知識がある人と行くと新しい発見があると知ったのもこの時です。このとき一緒に行ってた部活の先輩方は今どこで何をしているんですかね、気になりますが調べようとは思いませんw。

 

15歳(2016年)

 

ドナルドのフォトロケーション

 

時期としては中学3年生の時です、東京ディズニーシーは15周年のスペシャルイベントを行っていました。ここまでくると記憶が鮮明になってきます。まずは上のオブジェから。各キャラクターのオブジェが各地に置かれ、ステッキのようなもので声を集めたりするんでしたよね。15周年のキービジュアルなどは電車やCMなどいろいろなところで見た気がします。

 

エントランスに飾られていた船のフォトロケーション

 

15周年といえばアクアスフィア前のこのオブジェが印象的です。夜の写真しか残っていないのが無念です。もっと通いたかったな…と思いますが、この時期は病んでいたのでしょうがない気がしますw。

 

懐かしのストームライダー

 

さて嬉しいことばかりでもありません、2016年といえばストームライダーがクローズした年としても記憶に新しいのではないでしょうか。当時は批判を受けながらも惜しまれつつクローズしましたが、思い出として鮮明に残る結果となったのは、それはそれでよかったのかもしれません。先日発売された20周年アルバムの中にもストームライダーの曲が入っていますね(アルバムの曲順は納得してないけどw)。

ちなみにこの年からこのブログをはじめました。もう5年が経ってしまったわけですね。長く続けているだけのブログですが、自分の備忘録としてはピッタリだと思っているので、これからもたまに書き続けていこうと思います。いつもありがとうございます。

 

16歳(2017年)

 

ニモ&フレンズシーライダー(多分スニーク)

 

高校生になり、年パスをついに所有し始めたのがこの年です。毎週毎週なんとかして通っていたと思います。このころから少し自由気ままに行動するようになります。

そしてストームライダーに代わってシーライダーがオープンしたのもこの年です。ストームライダーをわざわざ潰す必要があったのかという議論が日々なされていたと思いますが、僕はこのアトラクションを作ってよかったと思いますよ。アトラクションを降りた後も楽しさが残るアトラクションだと思いますし、全世界の中でもオリジナルのものが東京ディズニーシーにあるというだけでも嬉しいことなのだと思います。

 

ステラルーお披露目ドライブ

 

ステラルーがデビューしたのもこの年です。たまたまグリーティングパレードを見れた感じですね。クッキーアンもこういうグリーティングパレードをやるはずでしたよね、この時はダッフィー・フレンズ合わせて7体になるなんて思ってもなかったです。

 

ハロウィン(手下とかやってた年だよね…?)

 

四季のイベントそれぞれに行くことができるのは年パスを持ってる特権ですよね。とはいっても秋口の部活はとてつもない忙しさだったため、パークには行けても1回といった感じでしたけど。たまたまパークにいた部活の先輩方と合流してアトラクションに乗ったりもしました、中高生のノリって(略)。

 

17歳(2018年)

 

D23 Expo Japan

 

この年はTDR35周年に先駆け、D23ExpoJapanが開催された年でした。まだまだお金がない高校生だったため参加はできませんでしたが、この舞浜全体の雰囲気の中にいれただけでも幸せでした。もうやらないのかな…。

 

35周年ハーバーグリーティング

 

そしてこの年はなんといってもTDRが35周年イベントを行っていた年でした。ありとあらゆるところでBrand New Dayを聴くことができた記憶があります。当時はランドの新要素が多かったのでランドばかり行っていた気もしますが、当時の写真を見てみるとそんなこともなかったようです。

 

イースター

 

七夕グリーティング

 

ハロウィン

 

クリスマスツリー

 

2018年は季節イベントがかなり充実していた年といえるのではないでしょうか。ゲットウェットで実際に濡れてみたり、ウェルカムトゥクリスマスを聴いてみたりといろいろなことができた年なのかなって思いますね。

 

ブロードウェイミュージックシアター

 

それもそのはず、この年あたりからBig Band Beatにハマり始めます。部活がジャズ関係ということで一度見てみたらドハマりしてしまったんですよね。この年に参加させていただいたColos Expoでもジャズに関するLTをさせていただきました。楽しかったな…。

さてこの年から嵐は20周年イヤーに突入し、全国ツアーである”5×20″コンサートも開催されました。第1期は外れてしまいましたが、このコンサートツアーが全50公演も予定されているというのはとても驚きだったんですよね。

 

18歳(2019年)

 

初日の出

 

2019年1月1日のパークは久しぶりに午前2時から一般ゲストが入園できるという特別な日でした。タキツバ解散のジャニーズカウントダウンを見て即移動→初日の出と朝ご飯を体験して帰宅というとんでもない一日を送った記憶があります。

 

ソアリン:ファンタスティックフライト

 

そして2019年と言ったら忘れてはいけないのが、ソアリン・ファンタスティックフライトのオープンです。この年は大学受験の年だったので年パスの更新は止めていましたが、このソアリンだけはどうしても体験したく、スターライトパスポートで入園したことを覚えています。

 

イッツ・クリスマスタイム!

 

受験が終わった12月、ついに年パスを復活させたときはとても嬉しかったことを覚えています。解放感でもう飛べるんじゃないかという感じだったと思います()。

さて、2019年1月は嵐が活動休止を発表した時でもありました。当時僕は修学旅行に行っていて、そこでも帰ってからもすごく泣いたことを覚えています。受け入れるのにはやはり時間がかかりました。

 

19歳(2020年)

 

2020年は新型コロナという未知の恐怖に悩まされた年でした。年パスを復活させて早3か月で休園になり、大学も休校。ひたすら家で過ごしたのは記憶にもかなり新しいです。

 

クリスマスハーバーグリーティング

 

再び開園してから初めてシーに行けたのは12月、クリスマスシーズンになってからでした。このころは感染者数が上がり始めていて出かけるのも怖いといった感じでしたが、パーク内は安心・安全といった感じだったことを覚えています。やっぱりうっぷんが溜まる毎日にはパークが必要だと思ってしまうヲタクです。

 

20歳(2021年)

 

20周年ハーバーグリーティング(スニーク)

 

そして、今年2021年はディズニーシーが20周年を迎えました。いまだに新型コロナウイルスの猛威は収まらないですが、徐々に徐々にこれまでのパークに戻っているのかなと感じます。

 

 

 

 

ミラコ下、20周年バナー

 

20周年のアクアスフィア

 

コロナ禍でなければ…というIfルートを考えることもしばしばありますが、このような形になってでも周年を祝えるというのはとても幸せなことなんだと僕は思います。20年もパークが存在し続けるというのはとてもすごいことなのではないでしょうかと思ってしまいます。

 

 

この景色がいつまでも、少なくとも死ぬまでは見続けられたらと思います。

 

終わりに

 

(くりすますどな)

 

ここまで長々と、つたない文章にお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m。僕自身は二十歳を迎えても、毎日変わらず勉学や仕事に追われ続けています。この記事を読んでくださった皆様はいかがでしょうか?。この20年で変わったことはありますか…?。ぜひいろいろな方の昔話を聞いてみたいです。

以上で僕、しきどなの2021年アドベント記事は終わりになります。ここまで読んでくださりありがとうございました!。ぜひほかの方の記事も読んでみてください、もちろん、記事を書いてくださってもいいんですよ????。それでは素敵なクリスマスになりますように、ありがとうございました。

 

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